幕末の政治改革の中で,同年代のドイツのように,諸侯の国家連合という形態(ドイツ連邦)で日本を統治するという方法もあったと思う。急進的な明治維新よりは,穏やかで日本の伝統に立脚した統治形態になったのではないだろうか。
国家元首である天皇が開催し,将軍を議長とする諸侯会議が日本の最高意思決定機関となる。
議会は石高に基づいて各諸侯に票田が割り当てられる。
幕末の日本の総石高およそ3000万石
総票数は最初の衆議院と同じ300票
石高を票数に見立てたドント方式で表を分配する
石高は名目上の石高である表高を用いる
約数10万石以上で156票 6万石以上で269票
議席は6万石以上の大名に与えられます。
300票内訳
77票 | 幕府 |
19票 | 金沢 |
13票 | 鹿児島 |
11票 | 仙台 名古屋 |
10票 50万 | 和歌山 熊本 |
8票 40万 | 福岡 広島 |
7票 36万 | 山口 |
6票 32万 | 佐賀 水戸 津 鳥取 福井 |
5票 28万 | 岡山 若松 |
4票 25万 | 徳島 |
3票 17万石 | 9家 鶴岡 前橋 米沢 松江 彦根 盛岡 高知 久保田 久留米 |
2票 11万石 | 11家 郡山 小倉 姫路 松山 高田 高松 小田原 桑名 佐倉 福山 |
1票 6万石〜 | 34家 棚倉 浜田 平戸 新庄 島原 宮津 延岡 吉田 岡 長岡 宇都宮 古河 笠間 河越 土浦 厳原 大聖寺 明石 宇和島 津山 中津 松代 大垣 新発田 忍 富山 弘前 御三卿 二本松 淀 小浜 柳河 |
琉球を含めるなら、8.9万石相当なので1票あることになる
地方別票数
幕府 | 77 | 4票以上の雄藩↓ | |
奥羽 | 32 | 仙台 若松 | 11 5 3 3 3 3 1*4 |
坂東 | 20 | 水戸 | 6 3 2 1*9 |
北陸 | 34 | 金沢 福井 | 19 6 2 2 1*5 |
東海東山 | 14 | 名古屋 | 11 1*3 |
近畿 | 28 | 和歌山 津 | 10 6 3 2 2 2 1×3 |
中国 | 33 | 広島 山口 岡山 鳥取 | 8 7 6 5 3 2 1×2 |
四国 | 12 | 徳島 | 4 3 2 2 1 |
九州 | 49 | 鹿児島 熊本 福岡 佐賀 | 13 10 8 6 3 2 1*7 |
マップ
赤い星:幕府の主な城 橙:10票以上
黄緑:4票以上 緑:3票 水色:2票 水色の小さい点:1票
もしこの仕組みが成立したならば、6万石未満の藩の意見は国政に反映されにくくなり、小藩の統合や廃止が進んだと考えられる。
幕府は最大の票数を持ち、議会を牽引する立場であるが、単独では4分の1の議席しか確保できなかったであろう。
幕府は全国に所領を有するため、各地域に影響力を持っていた。奉行所、代官所によって直接管理した地域は以下の国に広がっていた。
蝦夷・陸奥(岩代・磐城)・出羽(羽後)・上野・下野・上総・武蔵・甲斐・信濃・越後・佐渡・越前・飛騨・美濃・伊豆・駿河・遠江・伊勢・山城・大和・摂津・丹後・但馬・石見・備中・豊後・肥前・肥後・日向
この空想は、大政奉還の後、既存の諸侯の合議による合議体制を形成し、全国一括の版籍奉還や廃藩置県を伴わず斬新的に新政府を形成するものである。
幕府と71家による地域分権体制が維持されることで、史実の好戦的な中央集権政府からとは違った形の日本史を想像できる。
各藩を跨ぐ全国的な国家事業は、新たに作られた天皇の下の帝国政府に委ねることとなる。事業に必要なインフラと人材は幕府から引き継がれれる。大きな建物は貸し出され、全国各地より身分に囚われず優秀な人材を集められる。
帝国政府は諸侯に多額の納税を課して村立基盤とする。
諸藩の合議により幕府に対する課税はより重いものとなり、全国各地に散らばる所領の統治コストもあって、幕府は弱体化させられる。
6万石未満の非参政藩は各藩の希望により廃藩し、所領は帝国政府が分配する。諸藩の領地を交換したり、飛地を減らしたりすることで政務の効率化を図る。
国内行政はインフラの整った江戸を中心に行われるが、国の方針策定は幕府の影響力を削ぐため、天皇に近い京阪で行われるだろう。