弥生時代の墓制とか古墳の分布から

古代日本の姿を知ろうとする試みは夢がある

だけど考古学は、乏しい情報から推測しなければならないから

研究に携わらない人々の知りたいことに答えきれない

そこに失望がある

哲学も似ている

高度に抽象化する過程で 個人的な経験が失われるので

個人は自分の考えたいことを「知る」ことはできない

そもそも哲学は答えを導き出さない

個人は自分の頭で考えることでしか答えにたどり着けない

考えることができなくなった人がはまる落とし穴の一つが思想

既存の思想に一体化しようとする

—————–

図鑑で満足していたころ

図鑑よりもっともっと広い 知の世界を望んだ

蓋を開けてみると 知の世界は 不安定で 

何が正しいのか 信じられるのか わからない

大海に漕ぎだすことは 安心安定を失うことだった

不安定な中を泳ぎ続けるのか

安定を求めるのか

両方を行ったり来たりしながら

私は世界を泳いでいる

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする