目次
国力・距離分類マトリクス
令制国は国力による分類と,畿内からの距離による分類の2つがある。
括弧内に,一例としておよその国庁所在地を示した。
国力↓距離→ | 畿内 | 近国 | 中国 | 遠国 |
大国 | 大和(橿原市他) 河内(藤井寺市) | 伊勢(鈴鹿市) 近江(大津市) 播磨(姫路市) | 越前(越前市) | 武蔵(府中市) 上総(市原市) 下総(市川市) 常陸(石岡市) 上野(前橋市) 陸奥(多賀城市) 肥後(熊本市) |
上国 | 山城(京都市太秦他) 摂津(大阪市) | 尾張(稲沢市) 三河(豊川市) 美濃(垂井町) 紀伊(和歌山市) 丹波(亀岡市) 但馬(豊岡市) 因幡(鳥取市) 備前(岡山市) 美作(津山市) | 遠江(磐田市) 駿河(静岡市) 信濃(松本市) 加賀(小松市) 越中(高岡市) 伯耆(倉吉市) 備中(総社市) 備後(府中市) 阿波(徳島市) 讃岐(坂出市) | 相模(海老名市) 下野(栃木市) 出羽(酒田市) 甲斐(笛吹市) 越後(上越市) 出雲(松江市) 安芸(府中町) 周防(防府市) 伊予(今治市) 豊前(みやこ町) 豊後(大分市) 筑前(太宰府市) 筑後(久留米市) 肥前(小城市) |
中国 | 若狭(小浜市) 丹後(宮津市) | 能登(七尾市) | 安房(南房総市) 佐渡(佐渡市) 石見(浜田市) 長門(下関市長府) 土佐(南国市) 日向(西都市) 大隅(霧島市) 薩摩(薩摩川内市) | |
下国 | 和泉(和泉市) | 伊賀(伊賀市) 志摩(志摩市) 淡路(南あわじ市) | 伊豆(三島市) 飛騨(高山市) | 隠岐(隠岐の島町) 壱岐(壱岐市) 対馬(対馬市厳原) |
歴史IF
もし律令時代が長く続き,平成の市町村合併のように行政効率化のために国の統合が行われたら,どうなっていただろう。
もし経済規模の小さい中国・下国が他国と統合されていたら。
東北地方
奥羽と出羽→現代のように分割されたかも
関東地方
安房は上総と統合。伊豆は難しい。関東としてのまとまりを重視するなら相模,畿内からの距離を重視するなら駿河と統合。
中部地方
佐渡は越後に,飛騨は美濃か信濃に,能登は加賀に。若狭は越前または近江に。
近畿地方
和泉は河内に。いっそ摂津とも統合して大河内に。伊賀と志摩は伊勢に。丹後は丹波に。淡路は阿波に。「阿波への路」だものね。
中国地方
隠岐・石見は出雲に。長門は周防に。
四国地方
土佐はどうしよう。いっそのこと四国全部統合して,池田か川之江の辺りに「四国府」を作ったら良いんじゃないかな。
九州地方
壱岐と対馬は肥前に。日向・薩摩・大隅は統合して分立前の日向国が復活しても良いんじゃないかな。
統合後の諸国案(49国)
畿内
大和(奈良)山城(京都)大河内(大阪)
東海道
常陸(石岡)下総(市川)上総(市原)武蔵(武蔵府中)相模(海老名)甲斐(笛吹)駿河(静岡)遠江(磐田)三河(豊川)尾張(稲沢)伊勢(鈴鹿)
東山道
出羽(酒田)陸奥(多賀城)下野(栃木)上野(前橋)信濃(松本)美濃(垂井)近江(大津)
北陸道
越後(上越)越中(高岡)加賀(小松)越前(越前)
山陰道
出雲(松江)伯耆(倉吉)因幡(鳥取)但馬(豊岡)丹波(亀岡)
山陽道
周防(防府)安芸(安芸府中)備後(備後府中)備中(総社)美作(津山)備前(岡山)播磨(姫路)
南海道
土佐(南国)伊予(今治)讃岐(坂出)阿波(徳島)紀伊(和歌山)
西海道
筑前(大宰府)筑後(久留米)豊前(みやこ)豊後(大分)肥前(小城)肥後(熊本)日向(霧島)
11/6追記 令制国にまつわるエトセトラ
大宝律令(710)に国数は確定し,室町時代までは領域に変動があった。
江戸時代以後は完全に住所表示と名目的な国司しかいなくなった。
1869年に陸奥・出羽は合計7国に分割され,同年北海道11カ国を設置した。
明治に入って,国司が廃止された。
沖縄は,1871年に琉球藩とされて日本に帰属することとされたが,1879年に沖縄県になった。なので,琉球が令制国だった時期は無い。
第一次府県統合で,藩の領域を解体して県に地理に沿った領域区分が与えられたことで,国は県にとって変わられた。
1902年まで,令制国の範囲改正があった。この頃が,政府において令制国を扱った最後だった。
もし都道府県ではなく令制国が存続していたら,どうなっていたのだろう。
さすがに80カ国もあるのは多すぎるので,もし令制国が存続しても,整理されたことだろう。
明治6年の人口下位30国を整理して,50カ国になったとすると,どうなっただろうか。
北海道11カ国(12万人)⇒人口少なすぎるので,北海道庁として1庁に。
琉球(16万人)⇒遠方なので,人口は少ないが既存の枠組みを活かして琉球国として1国に。
畿内⇒大和・山城・摂津・河内+和泉
東海道⇒伊勢+伊賀+志摩・尾張・三河・遠江・駿河+甲斐・伊豆+相模・武蔵・上総+安房・下総・常陸
東山道⇒近江・美濃+飛騨・信濃・上野・下野・岩代+磐城・陸前・陸中・陸奥・羽前・羽後
北陸道⇒若狭+越前・加賀+能登・越中・越後+佐渡
山陰道⇒因幡+伯耆+出雲+石見+隠岐()
山陽道⇒播磨+但馬・備前+備中+美作・備後・安芸・長門+周防
南海道⇒紀伊・阿波+淡路・讃岐・伊予・土佐
西海道⇒筑前+筑後・豊前+豊後・肥前・肥後・薩摩+大隅
県庁所在地の空想
札幌・弘前・盛岡・秋田・仙台・山形・福島
水戸・宇都宮・前橋・東京・佐倉・木更津・小田原
新潟・富山・金沢・福井・長野・岐阜・大津
静岡・浜松・岡崎・名古屋・津・京都・奈良・大阪・堺
松江・姫路・岡山・福山・広島・下関・徳島・高松・松山・高知
小倉・福岡・長崎・熊本・鹿児島・首里
12/1追記 701年頃の令制国
ウィキペディアによると、701年頃の令制国は、幕末まで続いたものと少し違っていたようだ。
鎌倉時代までは、領域の変更が少しあったみたいなのだが、武士の時代になり、政治と令制国が切り離されると、領域が変更されることなく、形骸化が進んだようである。
明治時代初め、陸奥出羽を分割したり北海道を設置したり、郡を統合したりして、古代の制度を復古させようとしていたようである。
しかし、府県制、市町村制の整備と共に、国と郡は消えていった。
701年と鎌倉時代以後の違い
出羽は無かった
陸奥は今の仙台辺りまでだった
越後は今の新潟市より東のみで、西側は越中の一部だった
加賀、能登は越前の一部だった
安房は上総の一部だった
武蔵は東山道だった
木曽地域は美濃の一部だった
今の南伊勢町から尾鷲市にかけての熊野灘沿いの地域は、志摩国だった 但し、志摩国設置は8世紀前半で、まだ701年には設置されていなかった可能性がある
和泉は河内の一部だった
丹後は丹波の一部だった
美作は備前の一部だった
薩摩、大隅は日向の一部だった(熊襲国という名前だった可能性もある)
それ以前の変化としては、680年までは伊豆は駿河の一部だった
680年までは伊賀国は伊勢国の一部だった
689年までは吉備国は一つだった
7世紀後半までは、但馬は丹波の一部だった
以上を踏まえ、680年頃に存在した各国の一覧と、それらの国が現在あったとしたときの国庁所在都市を選定してみます
大和(奈良)山城(京都)摂津(大阪)河内(堺)
伊勢(津)尾張(名古屋)三河(豊橋)遠江(浜松)駿河(静岡)甲斐(甲府)相模(小田原)上総(木更津)下総(佐倉)常陸(水戸)
近江(大津)美濃(岐阜)飛騨(高山)信濃(松本)上野(前橋)下野(宇都宮)武蔵(江戸)陸奥(仙台)
若狭(小浜)越前(金沢)越中(富山)越後(新潟)佐渡(相川)
丹波(福知山)因幡(鳥取)伯耆(米子)出雲(松江)隠岐(西郷)石見(浜田)
播磨(姫路)吉備(岡山)安芸(広島)周防(山口)長門(下関)
紀伊(和歌山)淡路(洲本)阿波(徳島)讃岐(高松)伊予(松山)土佐(高知)
豊前(小倉)豊後(大分)筑前(福岡)筑後(久留米)肥前(佐賀)肥後(熊野)日向(鹿児島)壱岐(郷ノ浦)対馬(厳原)
結構しっくりくる形で、各地の中心都市が選べたと思います。
12/17追記 ○州という呼び方
「州」は省略
畿内 | 和・山(or城)・摂・河・泉 |
東海 | 伊・勢・志・尾・三・遠・駿・豆・甲・相・武・総(2国共通)・房・常 |
東山 | 江・濃・飛・信・上・野・奥・羽 |
北陸 | 若・越(3国共通)・加・能・佐(or渡) |
山陰 | 丹(2国共通)・因・伯・雲・石・隠 |
山陽 | 播・備(3国共通)・作・芸・防・長 |
南海 | 紀・淡・阿・讃・予・土 |
西海 | 筑(2国共通)・豊(2国共通)・肥(2国共通)・日(or向)・隅・薩・壱・対 |