先日のブラタモリで下関が出てきました。
航海の難所に浮かぶ島の一つが「船島」であり、巌流島の決闘の舞台であります。
小さい頃、もう20年前になります。「ドラえもん」の漫画の中に宮本武蔵と佐々木小次郎の話がありました。
「ムサシ」「コジロウ」といえばポケモンのロケット団でしたね。
とにかく、子どもの頃に巌流島の決闘の話は、漫画やアニメから間接的に知ったものでした。
「巌流島の決闘の真実」ということで,佐々木小次郎高齢説を取り上げたテレビがありました。何の番組だったか忘れましたが、「所さんの目が点」のような知識バラエティ番組だったようなきがします。
さて,今はインターネットで色々な情報が得られますが,情報のあまりの多さに大混乱です。
伝説は「資料」と「創作物語」の区別が付きにくく,
資料不足による不明点を伝聞や想像で補うことが繰り返されるため,実体とはほど遠くなります.
江戸時代の歌舞伎や,明治以降の歴史小説の影響が大きく,
巌流島の決闘についての創作物としては,歌舞伎「敵討巖流島」や時代小説「宮本武蔵」(吉川英治)が後世への影響が大きい物として挙げられます。
他の史実に関していうと,創作物によって「忠臣蔵の吉良上野介」のように悪役の側面だけがクローズアップされた人もいます.
巌流島の決闘についての資料を挙げると
(A)1654年 「小倉碑文」 宮本武蔵の養子が作った
武蔵VS「岩流」 武蔵は木刀,「岩流」は三尺の真剣で勝負した
※武蔵の養子が関わっているので,武蔵側に不利なことは書かないだろう
(B)1672年 「沼田家記」 門司城代沼田延元の子孫が作った
武蔵VS「小次郎」 武蔵の方は弟子を数名連れてきており,
小倉城代沼田延元が武蔵を保護した
※武蔵側が複数人だった説の最古。沼田氏との関与については,沼田氏の功績を讃えるため,既に伝説になっていた50年以上前の決闘話に尾ひれがついた可能性を捨てきれない。
(C)1704年 「江海風帆草」
武蔵(18才)VS「上田宗入」
(D)1716年 「本朝武芸小伝」 武芸の逸話集,松平忠栄の家臣・中村守和にきいた話
武蔵VS「巌流」 「武蔵は一人だった」「武蔵方は複数名いた」両説併記
(E)1727年 「兵法大祖武州玄信公伝来」
武蔵(19才)VS「津田小次郎」 決闘は1602年
1737年 歌舞伎『敵討巖流島』ではじめて「佐々木」性が出てくる
(F)1755年 武公伝
武蔵(29才)VS「巌流小次郎」 決闘は1612年
(G)1776年 二天記
武蔵(29才)VS「巌流小次郎(18才)」 決闘は1612年
※21年前の(F)を参考にしている.小次郎が若者.創作性が高い.
(H)1782年 兵法先師伝記
武蔵(19才)VS「津田小次郎」 決闘は1601年
※55年前の(E)を参考にしている
(I)1783年 西遊雑記 下関の伝承を記録したとされる
武蔵VS「佐々木巌流」 武蔵の方は弟子を数名連れてきていた説