目次
広告
NHKと広告
小さい頃は,広告無く高品質な番組を提供するNHKが好きだった。
学生時代,ワンセグがついているから受信料支払えという暴挙に,それまで抱いていた信頼は崩れ去った。見ないものに,見ていないことを証明することができない状態で課金されるのは絶対に許せない。
テレビの販売料金に課税したり,携帯電話の料金に付加されたりするであれば,まだゆるせただろう。
私は,テレビを持っていないし,ワンセグのついた携帯電話も持っていない。
大量の詐欺師を雇って国民から料金を収奪する日本放送協会に比べれば,広告だけで運営できている民放は立派だと思う。かといって民放見るわけではないが。
ニュースはネットの方が良い。情報源を調査するのが容易だからだ。視聴者が広告をコントロールできるからだ。何もできない,さあ受け取りなさいというスタンスの4マス(TV・ラジオ・雑誌・新聞)広告は,無くなることはないものの,今までのように王者として君臨することはもうできない。
嫌われ者の広告
すべての「広告」が嫌われるわけではない
「広告」に限った話ではなく
「情報」という上位概念においても
今欲しい情報→好き 不必要な情報→うっとおしい
「求めている物」「クリエイティブとして面白い」広告はむしろ好かれる
広告は経済の潤滑剤
価値の交換が多ければ多いほど経済全体としては活発になる
「物やサービスを豊富に享受できる社会」を作るにはあったほうが良い
2種のメディア
大きく分けて2種類
「社会不安・憎悪」を煽るメディア
「希望的観測」を流布するメディア
どちらも,視聴者の見たがる売れるものを提供しているに過ぎない。
それらを見て,視聴者がノイローゼになろうが,人生の選択を誤ろうが,メディアは知ったこっちゃない。
自動車
地球温暖化対策のEV促進が進められている。
EVには課題が多く,また一過性のブームで終わるかもしれない。
自動車大手の体力は削られている。最後に勝つのは一番損しなかった企業だ。
ヨーロッパ各国は,結託して「世界を自分たちが負けにくい環境に変えていく」ことに
日本はどちらかというと,「海外が作ったルールの中で戦う」ことを得意としてきた
アメリカは「ルールを作る立場」なのはヨーロッパに近いが,ヨーロッパのように国外に目を向けて「海外を巻き込みながら実施する」発想がない。すべて国内向けに実施したことが,海外に波及する。
いずれにせよ,これまでより厳しい経営環境になるのは間違いなく,
自動車が好きではないのに入るほどの魅力はない。
私が望む社会は,電車と都市と田園が緩やかに接続された「徒歩社会」なので,
自動車産業には関心がない。
それよりも,新型コロナウイルスの影響で,「乗合」という効率化手段に対する逆風が大きくなり,私の好きな「徒歩社会」を支える公共交通の体力が減じられていることが,心配でならない。
小さい頃は乗り物が好きだった。だが,大人になった今でも好きでい続けなければならないものではない。カブトムシなんかもそうであろう。関心は移り変わるものだ。
私はもう車に興味はない。